松戸はかつて、球団の合宿地だった?の巻

【Q】
今年の夏は、プロ野球が暑い!18年ぶりの優勝をかけ、快進撃を続ける阪神タイガース。地元の大阪はもとよりここ柏でも、優勝の瞬間を待ちわびるタイガースファンがワクワク、ソワソワ! 一方、私の周りにこんなに〈虎キチ〉がいたなんて!とびっくりしている人も多いことでしょう。
・・・ということで、今回は「プロ野球と松戸の意外な関係」についてのご報告。


【A】
 上野から常磐線快速で20分ほど、江戸川沿いに広がる家並みの向こうに、松戸駅周辺のビル群が見えてきます。松戸は古くから街道の宿場町として、また江戸川を行き交う船の河岸場として栄えた東葛きっての繁華街でした。かつての町の中心地・旧水戸街道春雨橋から角町交差点付近にかけては、本陣や高札場、旅籠屋などが軒を連ね、対岸の江戸方面からも渡し船にのってやってくる人も多く、たいそうにぎわっていたそうです。

 その旧街道沿いに、江戸時代から旅籠屋として7代続いた由緒ある料亭『冨吉』があると聞き、訪ねたときのこと。その店のご主人・石井一郎さんから興味深い話をお聞きました。なんと、『冨吉』は戦後の一時期、プロ野球の阪急球団の合宿所だった!というのです。

 敗戦後まもなくの昭和20年11月、戦争で一時中断されていた職業野球が復活。東京の神宮球場でもプロ野球の試合が開催されるようになりました。ところが、肝心の選手たちのプレーが、今ひとつさえない。戦後まもない時代で食料事情も悪く、選手たちも満足な食事がとれなかったからです。

 そんな折、『冨吉』に阪急球団の人がやってきて、ひと月ばかり選手たちを寝泊りさせてくれないかと頼みました。「ネギやナス、小松菜の産地として有名だった松戸なら、選手たちにも思いっきりご飯を食べさせてくれるだろうと思ったそうですよ」と、石井さん。ほどなく大勢の阪急球団の選手がやってきて、『冨吉』はにわか合宿所となり、選手たちは試合のある日は毎日、ここから神宮球場へ通ったということです。

「その話をどこからか、聞いたんでしょうね。それから阪神、中日など他球団も次々と松戸を訪れ、戦後しばらくの間はプロ野球球団の合宿地として、大いににぎわったもんです」と、石井さん。
「そういえば、『家に帰るから、オヤジさん、頼む!』と言われ、統制下、選手たちのリュックにこっそり米などを詰めてあげたりもしましたね」と話すのは、女将の道子さん。「選手たちは大喜びでね、大事なユニフォームを忘れて帰ったこともありましたよ」。

 あたり一面広がっていた田んぼや畑もすっかり姿を消し、今では当時の面影さえもたどることはできませんが、商業地としてにぎわう松戸のまちにもこんなにのんびりとした時代があったのですね。

◇text by FUJITA
KICの事務局長にして、4児の母。とりあえず、何でも頑張るハリキリウーマン。悩みは、苦労が体型に反映されないこと……だとか。



(No.30 2003/7/10掲載)
HOMEわいわい倶楽部HOME東葛のふしぎ探検隊

Copyright 2001 Kashiwa Information Center.