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| 特別編 『ラーメンあんな店☆こんな店』☆発行裏話☆ 【Q】 探検隊のみなさん、こんにちは。さて、質問です。いままでずっと気になっていたのですが、南柏駅近くの神社の境内に大きな「一里塚の碑」が見えますが、あれって、何のために建てられたのでしょうか。調べてください。 (柏市 S.A)。 【A】 S.Aさん、調査依頼、ありがとうございます。今回のお題は、大きな一里塚の謎に迫る!ですね。さっそく、現場に急行しました。 なるほど、S.Aさんが見つけた一里塚は南柏駅からほど近い、流山市向小金新田の香取神社境内に建っていました。江戸時代、この道は水戸街道と呼ばれ(現在は旧水戸街道)、お江戸日本橋から水戸地方を結ぶ人や物資の重要な輸送路でした。 かつてこの街道は沿道の大名14家をはじめ、御用飛脚や商人たち、寺社参詣の人々など、ヒト、モノ、情報が行き交い、経済の大動脈として大きな役割を果たしていました。 また、約120キロの沿道には20の宿場が置かれ、大名や武士が泊まる本陣、脇本陣、一般人の宿泊施設である旅籠(はたご)や荷物や馬を扱う問屋なども整備され、賑わいをみせていたようです。 ちなみに、東葛地域の宿場といえば、松戸、小金、我孫子の3箇所。街道筋には松や杉の並木が続き、道のりの目安として約4キロごとに大きな土を盛った一里塚が築かれました。当時の旅人は、塚の脇に植えられた榎や松の木陰に腰を下ろし、長くて苦しい旅の疲れを癒したのでしょう。香取神社の一里塚の碑にもまた、こうした記録がとどめられ、碑文には「下陰をさがしてよぶや親の馬」と詠んだ漂泊の俳人・小林一茶の句も刻まれています。 ◇text by FUJITA |
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