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| その昔、江戸川は利根川だった?! 【Q】 以前、近所のおばあちゃんが「〈江戸川〉は昔、〈利根川〉と呼ばれていたんだよ」と話してくれたことがあります。なんでも江戸時代に大工事をして流れを無理やり変えたのだとか・・・。そんなこと、本当にできるのでしょうか? また、何のためにそんなことをしたのでしょうか?(ハンドルネーム;今日もびっくり!玉手箱さん)。 【A】 柏駅川の流れを無理やり変える???なんとまあ、昔の人は大それたことをするのでしょう! 実はこのおばあちゃんのうそのような話は〈利根川東遷〉と呼ばれるもので、江戸時代、60年近くの歳月をかけて行われた河川の移し替え工事のことをいいます。その昔、中世の関東地方の河川の流れは現在とだいぶ異なり、利根・隅田川系、渡良瀬・太日(ふとい)川系、鬼怒川・常陸川・香取海(かとりのうみ)水系となっていました。そのうち、江戸市中に注ぐ利根川(現在の江戸川)はあばれ川として名高く、江戸のまちは度重なる洪水被害に悩まされていました。そこで、1590年江戸城に入城した徳川家康は河川の大改修事業に着手。利根川の派川の流路を閉め切り(1594〜)、周囲の湖沼へのつけ替え、開削するなどを繰り返し、利根川本流を東方に移し銚子河口へ流す(1654)利根川東遷を果たしたのでした。 これ以降、それまでの〈利根川〉は〈江戸川〉と呼ばれるようになりましたが、皮肉にも江戸を洪水から守るための開削工事は、関宿や境、新しくつけ替えられた利根川や江戸川沿岸などに甚大な水禍をもたらす結果となったのです。それゆえ、江戸中期以降も利根川全川にわたる河川の改修や印旛沼、手賀沼の干拓などの工事がたびたび行われました。 これらの一大治水事業により水路が整備されると、利根川水運は急速な発展を遂げ、大消費地江戸と関東一円の農村とを結ぶだけではなく、奥羽地方からのさまざまな物資を銚子、関宿を経由して江戸へ運ぶ水上交通路としての役割を担うようになりました。 |
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