流山にねずみ小僧がいた?!

【Q】
こんにちは!東葛のふしぎ探検隊!の隊長、FUJITAです。関東地方もついに、梅雨入り。蒸し暑くうっとうしい毎日が続きますが、皆さん、お元気でお過ごしでしょうか?
さて、昨年の大河ドラマで話題を集めた新撰組。その局長・近藤勇の最後の陣屋跡が流山にあることは以前お話しましたが、もう一人、伝説の偉人(?!)がいるのをご存知かな?


今月は、流山のねずみ小僧・金子市之丞について、探検しました!



【A】
「総武流山電鉄」という電車をご存知ですか?

馬橋駅から流山駅まで、わずか6駅を12分で走る小さな小さな路線です。その終点・流山駅の改札を出るとすぐ目の前に、なにやら珍しい木彫刻が掲げられています。地元の宮大工さんが作成したという作品には、「金子市之丞」の文字が・・・。
果たして、この人物はどんな偉業を成し遂げたひとなのでしょうか。

江戸時代、安政4年(1857)に初演され、一斉を風靡した歌舞伎『鼠小紋東君新形』。その主人公・ねずみ小僧次郎吉(1795〜1832)は、町火消しの鳶人足から義賊へと身を転じた大泥棒です。彼は、江戸市中の大名屋敷を荒らしては金を盗み、酒色と博打明け暮れ、のちに斬首となりましたが、後年、この大泥棒を「盗んだ金を貧民に分け与えた〈義賊〉」として脚色された歌舞伎や講談が大当たり。多くの観客の心をとらえ、一躍有名となったということです。

その少し前の時代、東葛飾の地にも、同じように義賊と呼ばれた男がいました。
明和6年(1769)流山の酒造家金子屋の一人息子として生まれた、金子市之丞です。幼くして父親を亡し、母との貧しい生活に耐えかね、任侠の世界へ。あげくの果てに盗賊にまで身を落とした市之丞ですが、盗みに入るのは金持ちの屋敷ばかり。盗んだ金を貧しい家にばらまいて歩き、天明の大飢饉にはその金で飢えた人々を救ったといわれています。そんな市之丞を、地元の人々はいつしか〈ビン小僧の金市〉と呼ぶようになったとか・・・。
ところが、やがて金市は捕らえられ、処刑されてしまいます。そこで、金市を慕う人々はその亡骸をこっそり引き取り、彼の義行を偲んでふるさと流山の墓地に手厚く葬ったということです。

総武流山電鉄流山駅から県道を越え、近藤勇の陣屋跡を通り過ぎると、閻魔堂と書かれた大きな看板が目に写ります。入り口を入るとすぐ、右手に焔魔堂が。中には、220年以上も前に造られたという閻魔さまの半座像が鎮座していました。
境内には36軒の先祖代々の墓が並び、最も古いものは元禄時代にまでさかのぼると、墓地を管理している寺田屋のご主人、栄一さん。
その焔魔堂の正面に、金子市之丞の墓が建っていました。右側には、金市と恋仲だったといわれる遊女三千歳の墓が・・・。こちらは、「離れていてはさびしかろう」と明治に入ってから地元の人々によって建てられたもので、金市の墓に寄り添うようにたたずんでいます

さて、本当のところ、金市が義賊であったかどうかは定かではありません。けれど、ねずみ小僧同様、「義賊・金市」を題材に江戸の終わりから明治にかけて講談の『天保六花撰』、歌舞伎の『天衣紛上野初花』などが創作、上演され、大好評を得たと地元では語り継がれているそうです。

◇text by FUJITA;KICの事務局長にして、4児の母。とりあえず、なんでも挑戦するハリキリウーマン。悩みは、苦労が体型に反映されないこと・・・・・・。最近お気に入りの“にがりダイエット”が効果なしとのマスコミ報道を耳にし、ショックを受けている・・・。新たなるダイエットを模索中!
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