![]() |
| 柏おどり誕生秘話 【Q】 柏駅東西の商店街を埋め尽くす屋台の数はもとより、神輿や柏ねぶたの山車、ミュージック&花自動車、趣向を凝らした衣装で練り歩くパレード、特設ステージでの和太鼓演奏や歌謡ショーなど、どれをとっても常磐線沿線随一。市民にとっては毎年お待ちかねのビッグイベントです。第28回開催となった今年も酷暑の中、市内外から多くの人たちが訪れ、夏の夜のエキサイティングなひとときを満喫しているようです。 さて、そんな柏まつりになくてはならないものといえば・・・、ご存知『柏おどり』。「柏おどりはヨ〜、春来てひらくヨ〜」で始まる、あの曲です。地元の人なら一度は口ずさんだことのある、あの名曲。果たして、いつ頃どんな経緯で作られ、誰が歌っているのでしょうか? 今回は、そんな『柏おどり』の不思議に迫りました。 【A】 柏まつりの前身は、昭和46年商店会連合会主催の『第一回商業まつり』。同年4月には、常磐線の複々線が開通し、千代田線乗り入れがスタート。翌々年には駅東口の再開発工事が完成し、そごう、燗屋、丸井、ファミリかしわ等大型店が相次いで開店。当時の市民は商業都市・柏の明るい未来を予感し、まち全体が喜びと活気に満ち溢れていた時代でした。 この年、当時の柏市民新聞社が新しい郷土歌謡を作ろうと懸賞募集したのが『柏おどり』です。5月には入選作3篇が発表され、のちにこれらの歌詞を組み合わせひとつに仕上げたものが、現在の『柏おどり』なのです。 作曲は、『松ノ木小唄』で人気の白石十四男。歌手は、当時はまだ無名だった大月みやこ。同年7月、キングレコードから発売されるやいなや、各地ではさっそく柏おどりの講習会が開かれ、8月初旬に開催された第一回商業まつりでは、300人を越える民謡連盟の踊り手と芸妓連50人が加わったパレードが繰り出したと言われています。 ところで、話はちょっとそれますが、普段はさらっと流して歌いがちなこの曲の歌詞をよく読んでみましょう。 三番「ビルに工場に 二人の家に 夢がひろがる小金原 映せ未来を 手賀の月」は、江戸時代幕府の御用牧場として広がっていた小金牧(=小金原、現在の柏、松戸辺り)が明治以降開墾され、首都圏のベットタウンとして、農工業品の生産地として急速に発展していく姿を詠んでいます。 また、四番「愛の豊四季 メトロでつなぐ ここは都の奥座敷」というくだりは当初、「常磐線でつなぐ」だったのですが、おりしも地下鉄千代田線の直通運転が開始されたことから、当時としてはちょっとしゃれた語感の「メトロ」に変えたのだとか・・・。短いフレーズの中に、「柏の歴史と未来への希望を織り込みたい」という、当時の人々の思いが伝わる作品となっています。 ◇text by FUJITA:KICの事務局長にして、4児の母。とりあえず、なんでも挑戦するハリキリウーマン。悩みは、苦労が体型に反映されないこと・・・・・・。最近お気に入りの“にがりダイエット”が効果なしとのマスコミ報道を耳にし、ショックを受けている・・・。新たなるダイエットを模索中! |
|
|HOME|わいわい倶楽部HOME|東葛のふしぎ探検隊| Copyright 2001 Kashiwa Information Center. |